2011.11.26
今日は日本分析化学専門学校第4代校長の安井良一先生を偲ぶ会を開催しました。
安井先生は、病気療養中のところ去る8月1日に86才で永眠されました。
現在本校に通学している学生の皆さんはあまりご存じないと思いますが、
現役を引退されてからも、現在土曜日と夏休みに開講しております「基礎化学講座」を担当され、
化学の苦手な学生に親身になって化学を教えておられました。
そして、注目すべきは、実は安井先生がいらっしゃらなかったら本校の創立は無かったということです。
今日はその本校設立に至った経緯を振り返ってみたいと思います。
偲ぶ会は、本校の創設者である重里國麿理事長先生からのお別れの言葉から始まりました。
安井先生は大阪府立夕陽丘高校の化学の先生で、重里理事長先生の担任の先生でした。
先生は非常に生徒思いで、授業料の工面もままならなかった当時の理事長に、
卒業を延期してでも卒業できるように配慮してくださったというお話が明かされました。
高校の授業料工面のために安井先生にご紹介され、理事長先生が当時アルバイトをされていたのが、
なんと現在の講義棟のある場所で、当時は印刷工場であったそうです。
偶然なのか必然なのか、何かものすごい「縁」を感じるエピソードでした。
高校卒業後は重里理事長は環境教育に携わるようになられ、環境教育の集大成として、
「環境に関する専門学校の設立したい!」と思い立たれ、真っ先に安井先生にご相談されます。
安井先生からは、同期である近畿大学の林陽(はやしあきら)教授をご紹介されたそうですが、
林先生からは「それなら、ぴったりの方がいらっしゃる」ということでご紹介されたのが、
その後、本校の初代校長となられる品川睦明先生だったのです。
品川先生からは、
「環境を教育したいのであれば、分析化学なくしてはできません。
また、分析化学という名前が学校名に入っていない学校でないとお引き受けできません。」
とおっしゃられ、「日本分析化学専門学校」という学校名となったというのです。
そして、昭和57年4月、初代校長に品川先生が就任されることになります。
重里理事長先生のお別れの言葉の後は、前述でご紹介した林先生や、
本校の歴代の校長からのお別れの言葉がありました。
そして最後は、本校現校長である重里徳太校長先生。
生前の安井先生からの「重里理事長を支えてやってくれよ。」という言葉に含まれた
非常に重いメッセージを受け止め、これからも頑張っていくことを祭壇の前で誓っておられました。
お別れの言葉が終わり、ご遺族からのお礼の言葉、そしてご参会された皆さんからの献花で
偲ぶ会は閉会となりました。
閉会となった後も、ご参会された皆さんは、生前の安井先生のお写真の前で思い出を語られたり、
この偲ぶ会にて初めてお会いされた皆さん方の交流が図られていました。
私も何名かの方とご挨拶させていただきましたが、
中には、9期卒業生で、現在求人企業でお世話になっている近畿環境サービス(株)で
工事部部長代理をされている井上様と初めてお会いすることになりました。
そこで、現在のお仕事の内容など貴重なお話をさせていただきました。
本校創立時に安井先生が林先生や品川先生との「縁」を取り持たれたように、
この偲ぶ会を機に、何らかの「縁」が生まれたかも、そして今後生まれるかもしれませんね。
そして、「縁」といえば、
この偲ぶ会については、安井先生を知る一部の卒業生にしか案内をしていなかったのですが、
昨日直前にFaceBookにて告知をしたところ、当日の朝、このようなメールを送ってくれ、
卒業生が参会してくれました。
「日本分析化学専門学校の歴史を知るいい機会ですね(^-^)v
私は本当にこの学校に出会えて人生が変わったと思ってます。
化学の知識だけじゃなく、情熱も教わりました。
今日何時ごろから参加できるかわかりませんが、途中から参加させて頂きます(^-^)v」
ちなみに彼女は、偲ぶ会終了後も、会場復旧のために机運び等、手伝ってくれました。
安井先生!
こうして安井先生が取り持たれた縁で繋がった人の輪がどんどん広がっていますよ。
安心して奥様と安らかにお眠りください。
ちなみに、安井先生は普段から会話に化学を取り入れたユニークな先生であったようで、
重里理事長が「先生長い間お目にかかっていませんでしねぇ」と安井先生におっしゃられると、
「何を言っているんだ。キミとボクとは亀の甲で有機的に繋がっているじゃないか。」と
「縁」を化学を使って表現されたそうです。
以上、安井先生の「縁」パワーに私たちも感動した一日でした。
by すくろーす