2017.10.01
今日は、本校の創立記念日です。
ここ大阪の天満橋で爽やかな36年目の朝を迎えました。
校舎は、学生が休みである以外、普段と何も変わりませんが、
創立記念日は建学の精神や原点を学ぶ上で大変重要な日でもあります。
そのため、毎年、創立記念日には、外部から講師をお招きして講演をいただいたり、
教職員で親睦を深めるような懇親会を行ったりと、いろいろなイベントを行っています。
今年は、校外に出て日本の化学が発展してきた原点を学びに、
岡山県の津山洋学資料館へ教職員全員で行ってきましたので、
その様子をご紹介します。
教職員全員での集合写真です。
津山洋学資料館のある地域では、江戸時代後期から明治初期にかけて、
宇田川(うだがわ)家や箕作(みつくり)家をはじめとした日本の近代化に貢献した
優秀な洋学者を輩出しているところです。
資料館の前には、それぞれ洋学者のブロンズ像が設置されています。
この資料館で紹介されている洋学者をすべてご紹介したいところですが、
功績はあまりにも多く、紹介しきれません。
そのため、江戸時代最高の化学者とも言われる
宇田川 榕菴(ようあん)先生について少しご紹介します。
簡単に言えば、私たちが普段使っている化学の用語、
例えば、元素名の「水素・酸素・窒素・炭素」などから、
「酸化・還元・溶解・温度」などをつくり出した人です。
さらに言うと、「分析」という言葉もつくり出した方でもあるのです!
これだけでもスゴいことなのですが、
当時の医学の発展に寄与するために、必要な薬の研究を行う中で、
植物や化学を研究し追究されました。
その功績の1つが、日本初の本格的な化学書「舎密開宗(せいみかいそう)」です。
1837年に出版され、前述した化学用語はこの書物の中で使われています。
そもそも、日本で初めて化学の学校ができたのは、1869年明治時代のことです。
その学校の名前は「舎密局(せいみきょく)」と言い、
舎密は化学を意味するオランダ語 Chemie (シェーミ)の字訳、局は学校という意味です。
ちなみに、舎密局があったのは、本校から歩いて10分くらいのところで、
今も跡地を示す石碑があります。
つまり、舎密局が開校する30年も前に、宇田川 榕菴先生は、洋学を学び
自身で実験をしながら化学書「舎密開宗」を書かれているのです。
日本の近代化学の確立を語る上では、
非常に重要な化学者であることがお分かりいただけると思います。
そして、私たちが今、当たり前のように読んでいる化学書は、
この方々の恩恵ですが、そこには化学を通して人々を救いたいという
強い意志があったということを改めて感じました。
本校では、僅かばかりではあるものの、その意志を受け継ぎ、
化学を通して社会で活躍できる人材を育てています。
このことを再認識し、教育できる立場にあることを
感謝しなくてはいけないとも感じた資料館の見学となりました。
その他にも、日本で初めてビールを造った川本 幸民先生の顕彰碑を
兵庫県の有馬市で見学しました。
そして、キリンビールの神戸工場では、
9月にリニューアルされたばかりの見学ルートで
ビールの製造について学んだりと、
いろいろと学びの多い創立記念日の1日となりました。
今日得た知識や情報を明日からの授業や実験でも活かして、
さらに1年、また1年と、頑張っていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします!
By ぽてと